子供を育てるときの注意
基本は、愛情を降り注ぐ
大人の社会で言われる言葉に、「人間の心は決して理論や理屈だけでは動かない」という言葉があります。また、「あの人に頼まれれば、嫌とは言えない」という言葉があります。これは、他人との関係ですが、親子関係にも同じような言葉があります。「あの親には迷惑かけれんなぁ〜」という言葉です。これらに共通しているのは、人の行動は愛情(感謝をともなった気持ち)に左右されると言うことです。

子供があなたを見つめたときにっこり微笑んであげる、子供があなたの手を握ってきたら握り返してあげる、子供があなたに話してきたら聞いてあげる、子供があなたのひざに乗りたがってきたらひざに乗せてあげる、子供があなたにだっこをせがんできたらだっこしてあげる、子供があなたのお布団の中に潜り込みたいと言ってきたら潜らせてあげる。
子供は、このとき、どんな気持ちになっているのでしょうか? 子供はあなたに愛されていると思えます。これからも、いつも愛してくれていると思うでしょう。そして、日頃から、この関係ができているときは、「ごめんね。今はちょっと手が離せないの。後で必ずお話を聞くからね。」と答えるだけで、理解してくれるはずです。当然、後で必ず聞いてくれると言う関係も出来ている必要があります。

上記の反対の行動をとったら子供の心はどうなるでしょうか? 例えば、見つめたときに意識的に逃げる、手を握ってきたときに振り払うなどです。愛されているのかどうかが分からないと言うことになります。反対の行動(見捨てるような行動)を過度にすると、たぶん、なんらかの精神障害が大人になってでてくることになります(子供の年齢によって違ってきます)。

愛情は、上記の行動以外に、子供に分かりやすいように言葉で表現することも重要です。「可愛いね」「大好きだよ」「生まれてくれてありがとう」・・・。

このように、愛されていることを理解した子供は、いつもにこにこし、ものおじしない、誰からも好かれる子供、そして、大人になっていくのです。充分な愛情をもらえば、親からの巣立ちも早くなります。あなたに、育ててもらったことをいつも感謝して、過ごすことになります。このように、基本は、愛情を降り注ぐことです。



「子供の育て方」で性格への影響以外に精神障害の可能性も
性格は、「子供の育て方」で左右されると言われています。さらに、大人になってから発症する精神障害も「子供の育て方」に影響しています。数歳までに固定される精神障害も多数あるようです。子供の育て方で、その子の一生を左右することになります。子供を育てるときの注意について、考えて見たいと思います。

「子供の育て方」でよく言われることが、「甘やかすのはいけない」と言う部分です。これを否定はしませんが、まったくポイントがずれていると思います。「甘やかす」ことで発生する問題もあるとは思いますが、一番の問題は「虐待」なのです。「虐待」の結果、「非行に走る」のです。一時的な「非行に走る」で治ればよいのですが、精神障害を発症し、その子の生涯を悩ませることになるのです。
この「虐待」を行うときに言われるのが、「躾(しつけ)をしている」であり、「甘やかすのはいけない」と言う言葉です。
極端に言えば、「甘やかしてもよい」から、「虐待はしない」ことです。

「虐待」なんか、とんでもない、単に「躾(しつけ)」をしているだけと言われると思います。「虐待」について簡単に記載します(このサイトの心の傷と精神障害の関係より抜粋。)。

虐待と言う視点で見れば、身体的虐待、養育保護の怠惰・放棄(ネグレクト)、精神的虐待(心理的虐待)、性的虐待になります。これらが、明確に行われていた場合、必ず心の傷が発生しています。
そんな虐待は、行われていなかったと思う前に、ちょっと考えてみてください。子供の感受性は非常に敏感です。
身体的虐待は、躾(しつけ)と称して、お尻をたたいた経験はありませんか? 長時間閉じ込めたり、寒い屋外に長時間ほり出したことはありませんか?
精神的虐待は、否定する、無視する、大事なものを捨てることは、ありませんでしたか?
性的虐待は、異性の親が変な視線で見ませんでしたか? お風呂で身体を洗うと称して、嫌がることをされませんでしたか?
親子のほほえましいコミュニケーションと思われることも、子供にとっては、精神的虐待になっている可能性があるのです。親は虐待と思ってなくても、子供が心の傷を負っていれば、虐待です。このように、親からは、まったく気づいていない場合でも、心の傷が発生している場合があります。

上記の虐待を読まれて、どのように思われましたか? たたくことすらいけないのか? 即答は避けますので、下記をお読みください。


子供をほめる
人間と動物の関係の場合はどのようになっているのでしょう。例えば、「おすわり」を教えるとします。通常、3つの方法があります。えさで釣る、怒って躾(しつけ)る、ほめて躾(しつけ)るの3つです。えさで釣るのは動物ならではの躾(しつけ)ですので、除外すると、「怒って躾(しつけ)る」と「ほめて躾(しつけ)る」の2つの方法です。この2つは、対極に位置していることに気づきましたか? 同じ躾(しつけ)なのに、対極です。できたときにほめるか、できないときに怒るかの違いですね。
私ドクター・ワトソン(犬)の場合、犬ですから、順序社会です。怒られるというのはあくまで順序があっての話です。すなわち、順序が上であれば、怒られれば覚えます。しかし、順序が下の人の場合、怒っても聞きません。順序が上の人に怒って教えられたことでも、順序が下の人のときは無視します。犬社会では当然のことです。
ところが、ほめられると、ちょっと違ってきます。なんちゅうか、ほめられるとうれしくなって、なんでも聞いてしまいます。上下なんか、まったく関係なく、尻尾なんかを振ったりします。「え〜と、これは、どうするんだっけ」と必死に考えてしまいますね。喜んでくれる顔を見たい、ほめてもらいたいと、いや〜、努力の塊になってしまいます。

「ほめる」の反対語は、「けなす」です。子供をけなすことはとんでもない行為です。子供の感受性によりますが、深く傷つき、心の傷になります。
「菜摘ひかる ふにゃふにゃ日記」の1997年12月7日より、次の文章を引用します。「呪文のようにブスだと言い続けて私を育てた大嫌いな父親・・・・。嘘でも可愛いと言われて育ったら、もしかしたら、風俗やってなかったかもしれないよ。・・・ だから父親のみなさん、娘さんを風俗嬢にしたくなかったら、蝶よ花よと育ててあげてくださいね」
この菜摘ひかるさんを補足しますと、本を書かれているときも、風俗をされていました。風俗をしていると、男性から認められていると実感できて、心の平静が保たれると言うように書かれています。文章の表現力、内容の洞察力は、すばらしいものがあります。このふにゃふにゃ日記出版直後に亡くなられています(2002年11月4日 享年29歳)。

ここまで来ると、次にでてくるのが、ほめるような良い子でないと言うことだと思います。ちょっと待ってください。あなたの子供は、生まれてきたときから、なんでもできましたか? たぶん、泣くことしかできなかったと思います。毎日、すごい成長をしているのです。毎日、ほめれることだらけなのです。

当然、子供ですから、良いことと悪いことの区別のつきにくいことがあり、悪いことをしたとします。悪いことをしたときは、どうすればよいのでしょうか? 叱れば良いのです。あなたが、子供に対して、いつもほめていて、愛情を降り注いでいたとします。いつもと、少し違う口調で叱るだけで、子供は充分に分かります。お尻をたたかないと分からない子供にしたのは、親のあなたの日ごろの接し方が悪いのです。

少しでもできたことをほめるか、できていない部分を怒るかの違いです。ピアノ、鉄棒、九九、なんでも良いのです。例えば、「ピアノ等の楽器を習いに行っている」ことを考えてみましょう。ピアノができなくても、義務教育には困らないですね。ならば、亀のようにのろくても、怒ることはないですよね。でも、怒っていませんか? 子供は、「ピアノ=怒られる」、「ピアノ=ほめられる」のどちらかが刷り込まれます。そして、習いごとをやめたとき、ピアノに一切触れなくなるのは前者、時間があればピアノを触っているのは後者です。「ピアノに一切触れなくなる」のだったら、習いに行かさないほうが幸せだったのではないでしょうか?

子供が、お手伝いをしてくれないと言って、嘆いていませんか? 幼児のときに、子供にお手伝いをしてもらったとします。たぶん、お手伝いの結果は、惨憺たる内容で、手伝ってもらわないほうが良かったと後悔します。でも、このときにほめるか、怒るかで、将来、お手伝いしてくれるようになるかが決まっているだけなのです。「お母さん、疲れているみたいだね。今日は、ボクがご飯を作ってあげるよ。」と言う言葉は聞いたことがあると思います。そして、お台所は、情けないことに、・・・。このときに、まず、ほめる。「ありがとう。助かったわ」 そして、何回かしてくれるうちに、少しずつ、汚さないことや片付けることを教えていけばよいのです。子供は、「お手伝い=怒られる」、「お手伝い=ほめられる」のどちらかが刷り込まれます。

そして、ほめた結果、子供は自信がつきます。自信があれば、世の中に出て、困難なことに遭遇しても対応できるのです。おまけも付きます。自信がある人は、人を許すこともできるのです。



「子供のために」と言う「親のために」
子供のためにおこなっていることは、本当に子供のために行っていることでしょうか? これの一番の例は、「良い学校に行く」ことでしょう。すべてを否定をしませんが、たぶん、親の自慢話にしたいだけです。「本人の適性は?(あなたは生涯かけてどんなことをしたいの)」「適性にあわせた仕事は?(それをしたいのならば、こんな仕事を選ぼうね)」「その仕事をするために学校は必要か?」「適切な学部・学科は?」と言う長い道のりの後に、教授や実験設備などから、どうせ行くなら、その中の「良い学校に行く」という結論に達するのが自然な姿です。
当然、途中で興味は色々変化してくるでしょう。小さいときは、夢のようなものでしょう。でも、子供がそのとき持った興味を否定せず、興味を持ったものを親と一緒に調べ、そして親と一緒に見に行くという行動こそが、将来の本当に子供のために行っていることだと思います。このような行動は、学習塾や家庭教師に子供を預けるより、たいへんな作業なのです。

「親の過剰な期待」も子供に悪影響を与えますが、多くの場合、上記のような場合が多いのではないのでしょうか?



補足ね!

1)「愛情を降り注ぎこと」は「甘やかすこと」ではありません。
2)「叱ること」は「怒ること」ではありません。自分の感情のはけ口として、子供を怒っていませんか?
3)子供は、親を手本にしているだけです。子供の世界は親だけです。
  頼んでもすぐしない子供を怒る前に、あなたが、子供に頼まれれば、すぐすることが先なのです。
4)いつもにこにこして、「ありがとう」が言え、人の痛みの分かる優しい子にすることで、充分なのです。


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