http://watchan.net/sagae/ スクールカウンセラーによる「こころの取扱い説明書」 佐賀枝 夏文
watchan.net > 佐賀枝夏文さんの「こころの取扱い説明書」 > 暮らしとこころの基礎研究 2 と あとがき
 
○こころの闇と「ともしび」
 
 大いに迷うと、こころが閉ざされて、暗闇の中に迷い込むことがあります。迷うと、必死に出口を探します。考えれば考えるほど、迷路に入り込むように思います。出口を探して、自己流でさまざまなことが行われます。何かに取り付かれたように、儀式めいた行為を脅迫的にするひともいます。何かを命令されたかのように、ある行為をくり返すひともいます。また、何かをしなければ「罰」がくだると信じて、懸命にある行為をするひともいます。自己流の行為をくり返し、進んで行く方向は闇の世界のように思います。解決とは逆方向へ向いているのかもしれません。この失敗に共通するのは、人間関係を排除してひとりで深みに入り込んでいるように思います。語ること、対話することに欠けていることが多いようです。
 
○わたしの好きな法話から
 
 わたしの好きな仏教の法話のひとつに「地獄と極楽」のおはなしがあります。地獄と極楽をたとえばなしとして教えを説かれたものでしょう。少年時代に聞いた記憶があります。最近ことに、大切な教えとして考えています。ご紹介してみます。

 このおはなしは「地獄と極楽」の食事の時間を垣間見ることころから始まります。地獄と極楽の食事の時間というと、地獄は貧弱で、極楽は素敵なご馳走を連想しますが、地獄も極楽も食卓には同じようにたくさんのご馳走が運ばれてきます。地獄と極楽は、何一つ違わないのです。わたしたちの食卓とただひとつ違うのは、お箸が長いことです。とても長いお箸で、自分自身 の口には運べない長さなのです。そして、地獄も極楽も食事が始まります。それぞれの食事場面を垣間見ると、地獄では、自分の前のご馳走を他者にとられまいと長いお箸で食べようと懸命になっています。しかし、長いので自分の口に運ぶことができません。地獄では、つらく悲しい世界が繰り広げられています。では、極楽の食事場面を垣間見ることにします。極楽では、長いお箸で向かいあった他者に食べさせてあげています。お互いに自らの物を他者に与えて食事をしているのです。極楽の人々はにこやかに他者に感謝しながらこころ豊かに食事をしているというおはなしです。

 この教えは、自己中心的の考えが、ほんとうは自分を窮屈に縛ることを教え示しているように思います。「気配り」「配慮」の他者中心の考えは、自分のこころの縛りを解きはなしてくれることを教え示しているように思います。他者の心地よさは、誰でもないあなたを心地よくしてくれます。「自利利他(*1)」ということが思い出されます。

*1:利他:他を利すること。また、他力の意も用いる。(法蔵館「真宗新辞典」)
 
○自他の違いと共通点
 
 自分と他者は生活史も異なり、経験してきたことも違います。その点から考えれば、差異が起きて当然といえます。表現される言葉や、言葉以外での表現が異なります。この差異は、どちらが正しく、どちらが間違いということではないといえます。

 表現される言葉や、言語以外で表現されることは違うのですが、共通する点があります。自尊感情に関連するところです。自尊感情は暮らしの中で語られることが少ないように思います。自尊感情は傷つきやすく、もろいという点で共通しています。自尊感情は表に出すと、弱点として相手に映る場合があるので、語られることが少ないのかもしれません。

 子どもから大人まで、共通して自尊感情は大切にしてほしいという点では、さほど差異がないといえます。
 
○行為の変容
 
 わたしたちの行為を分析すると、多くは自分が主体で○○をするになっています。または、何かをしてあげているとなっています。このような行為をくり返せば、行き着くのはしてあげているという「施与(*1)」の行為ということになります。施与は気づかないうちにこころに慢心を大きしています。

 わたしたちに大きな願いがかけられているのは、変容し、何かをさせていただく行為者へなることでしょう。変容の引き金は個々に違いますが、阿修羅の存在や喪失体験が考えられます。自分に都合の悪い阿修羅のような存在や、悲しい喪失体験が180度の変容を生みだすこともあります。

*1:せよ:ほどこしあたえること。
 
○迷いからの脱出
 
 ひとは他者から排除され、傷つけられると、他者との交流を遮断することがあります。遮断する時期は必要ではありますが、つらくても少しでも対話して他者との関係の中で生きる方がよいでしょう。他者との関係を遮断して、あれやこれやと考えることは「妄想にふける」ことになります。遮断して時間を過ごせば、その分他者との心理的な距離が開くことになります。

 対話の必要性を述べましたが、対話の相手は傷つけた相手、排除した相手ではありません。
 
「あとがき」
 
 久しぶりに、『こころの取扱い説明書』を書こうという意欲が湧いて、少しはパソコンの前に座ろうかなぁと思えるようになりました。実は、壁を越えることができず、しばらくは何事も「おっくう」でした。今まで、簡単にできたことが妙に気分が重く、取り組めない時期がありました。これが「抑うつ状態」だと思います。自分では、迷走しないようにしていたつもりですが、ずいぶんとこころに加重な負担がかかっていたのでしょう。原因探しは意味がないと思いますので触れないことにします。きっと長年のあいだに「こころとからだ」に積もった、ほこりで多少問題が発生したぐらいのことだと思います。思春期のリセット期間、思秋期のリセット期間が人生には必要なのだろうとしみじみ思います。

 この冊子をつくりたいと考えたのは、さまざまな問題を抱えている方、いま第一線で子どもたちを支えている友人たちへ届けたいと考えたことも理由のひとつです。「手引き」のように活用していただければと思います。この冊子が、問題の渦中にある方に、ひとときの「お休み処」になれば幸いです。

 このたびの冊子の出版に際しまして、デザイナーで詩人のにしむらえいじさんに出版をお願いしました。こころよくお引き受けいただきましたことに深甚の謝意を申し上げます。

2004年 錦秋の湖国
 
 
 
 
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