http://watchan.net/sagae/ スクールカウンセラーによる「こころの取扱い説明書」 佐賀枝 夏文
watchan.net > 佐賀枝夏文さんの「こころの取扱い説明書」 > こころのサプリメント編 3
 
 こころの取扱い説明書は、問題を抱えたときの「こころの取扱い」について述べたものです。問題にたいしてカウンセラーとしての立場とクライエントさんへの助言を提示してみましたので、両面から読んでいただければよいと思います。
 
○厄介なことがやめられないとき
 
 厄介なことが、やめたいけどやめられないときがあります。やめられないことは、個々に違いますが、軽重を問わず悩ましいことです。多くの方が、このことで苦しんでいます。入り口の状態から、深みに入った脅迫神経症的な状態までさまざまです。

●カウンセラーのあなたは……。
 やめたいという悩みを抱えて、あなたを訪ねる方が多いと思います。この問題について、一般的には簡単に「やめれば良い」と考えてしまいます。また、やめることができないでくり返すことに「意味がない」ことに気がつくと思います。しかし、あなたに気づいてもらいたいのは、やめられない方は、やめることに人一倍懸命に取り組んできた結果であるということです。やめたい気持ちが誰よりも、当事者として強いことも理解していただければと思います。

 もし、○○すればとアドバイスをあなたが行えば、さらにやめたい気持ちを後押しすることになるように思います。やめたいけどやめられないことを、まるごと認めてあげてはいかがでしょう。また、性格がきっちり屋さんで、物ごとを曖昧にできないひとであることも理解してあげてください。

◆もし、あなたがこのことでなやんでいるのでしたら……。
 やめたいと一所懸命な自分を認めることから始めましょう。やめることに懸命になることから自由になりましょう。やめたいという強い気持ちの抑制がリバウンドしていませんか。あなたは二分法的な思考(*1)にはまり込んでいるように思います。やめなければならないと強く考えるのは得策ではありません。やめた方がよいが、やめることができない場合もあると考えましょう。このままでは人生はおしまいだ、とは考えないでください。自分自身が「抑制と失敗」をくり返していることに気づきましょう。

*1:二分法的な思考:両極端な考え方で、「白黒」「善悪」のどちらか極端で、「あいまいさ」がない考えです。
 
○腹立ちがおさまらないとき
 
 相手の言動や行動に納得ができないで、腹立たしい怒りを感じることがありませんか。仕事や人間関係を保持するために、怒りを抑圧しなければならないことがありませんか。抑圧してこころに納める作業はつらいですね。やり場のない苦痛を味わうことになります。何かにぶつけることができる場合は、安全であれば幸いです。やり場のない怒りの感情を抱えるひとは大変です。やり場のない怒りを抑制していると、ギクシャクしておさまりが悪い状態にもなります。いつまでも不愉快で、こころが重く閉じ始めます。

●カウンセラーのあなたは……。
 相談者の怒りを冷静に聴けると思います。怒りは「個人の内的な経験」であるからでしょう。カウンセラーが冷静に聴けるという立場が大切だろうと思います。冷静に聴くことが大切で、聴いて注意することがよいわけではありません。怒りの原因などを聴いて理解するプロセスが必要であると思います。そのプロセスのなかで、こころの整理が少しできるかも知れません。怒りの感情が固定している場合は、丹念に聴き取り、十分な理解が必要であると思います。

◆あなた自身が怒りの感情のやり場がないのでしたら……。
 こころに無理に押し込めたのですから、爆発しそうになっていると思います。押し込めて抑圧できているのでしたら、そのことを高く評価しましょう。相手に怒りをぶつけることなく、いちおう危機が維持されている状態でしたら、表情や雰囲気から出ていても仕方がないと思います。ああだ、こうだと考えながらも、爆発を押さえていることが大切でしょう。危険なのは怒りの増幅です。怒りを包み込んで時間の経過を待つのも方法です。
 
○喪失体験
 
 「捨てる」ではなくて、奪い取られる「喪失」の体験をすることがあります。捨てるは、自らの意思で行う行為です。不要なので捨てる場合もあります。必要であるが捨てる場合もあります。「捨てる」はこころの準備がすでに出来ています。しかし、「喪失」はこころの準備が出来ていないので、喪失体験をしたひとに対してサポートが必要な場合があります。

●カウンセラーとしてのあなたは……。
 喪失体験の心理的過程は、おおむねショック期にはじまり、前後して、否認期か混乱期を経過して、悲嘆期に入り込みます。それぞれの期間は問題の軽重にもよります。また、そのひとの生活史も大きく影響すると思います。

 どの時点であなたと会うかで、対応も多少異なると思います。気がかりなことは「喪失を事実として思えるか」ということにかかっているように思います。それには、喪失体験とその後のあり方が大変密接に影響することがあります。「頑張り」から、平気を装い、大丈夫を演じた場合、喪失が事実として思えなくことがあります。

 大丈夫でなければならないと考えている方がお尋ねになったら、十分時間をかけて、悲しみを味わう方向へ向けてあげてください。

◆もし、あなたがその渦中にいるのでしたら……。
 否認期、混乱期を経て、悲嘆期に入り込んだのでしたら、悲しみの中で過ごしましょう。悲嘆期はつらくて長い期間を必要とします。大丈夫と勇気づけ、平静を装うことはやめましょう。 悲しみと共に流れる涙は、悲しみの浄化の働きをしてくれると思います。体裁をつくることはやめてください。悲しみやつらい世界にいてください。今は悲しみを味わうときなのでしょう。もし、隣人や友人がその渦中にあるのでしたら、そっと寄り添って立ち止まることもよいでしょう。
 
○理不尽な罵倒
 
 他者から理不尽な言葉で罵倒され、感情的な怒りをぶつけられたことがありませんか。誰が正しいか、善悪はさておいて、このような場面ほど、つらく後味の悪いことはないと思います。憤慨し激高することと思います。こどもであれば、喧嘩が始まることでしょう。おとなであればその荒れる感情を抑制するのに大変なエネルギーを使うことでしょう。

◆わたしたちはこのような局面に出会うとどのように対処するでしょう。
 道理や道筋を外した相手の中に、原因探しをしないでしょうか。そうすることでこころの中で相手を「裁く」ことをしませんか。しかし、原因探しや裁いても「おさまらない」感情があると思います。納得しようと懸命に努力することでしょう。

●こころとからだの浄化作用を信じてはいかがでしょう。
 罵声や理不尽な言葉は、おそらく「からだとこころ」で受けたはずです。こころとからだが癒えるまでは、軽減しないでしょう。こころとからだが癒えるためには、考えて理解することだけでは解決しないと思います。疲れたこころとからだをゆっくり休ませましょう。
 
 
 
 
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